2018年10月11日(木)
司書=ライブラリアン? 学芸員=キュレーター?
橋本が担当した前回の雑記帳では、明治期にアーカイブズがどう和訳されていたかについて触れ、アーキビストは司史誌(ししし)と翻訳できるのではないかという暴論を述べました。
さて、前回は、司書がライブラリアン(Librarian)、学芸員がキュレーター(Curator)の訳語であることを前提としていましたが、そもそも、司書と学芸員とはいつからある言葉なのでしょうか。気になったので、少し調べてみました。
司書については、山崎元氏がまとめておられました(「『司書』の語源について」『みんなの図書館』no. 142、1989年、48-50頁)。山崎氏によれば、司書の語源は儒教の経書である周礼にあるようです。周礼は、司書の職務の一つに、図書と文書の管理を定めていました。日本では、1906(明治39)年10月に「図書館令」改正の際に、官名として定められたのですが、これが公式に初めて司書が記された事例であるようです。
ところが、司書がライブラリアンの訳語であるかどうかまでは示されていませんでした。実際に、山崎氏も、この語源の件について情報提供を求めていました。ちなみに、周礼など経書を生んだ中国では、司書ではなく図書館員という言葉が使われているようです(百度百科による)。
もう一方、学芸員の方は、『博物館研究』(第一巻、第三号、1928年)に、「学芸員(キューレーター)」という表現がありました。東京帝国大学の助教授であった團伊能氏が、当時の博物館問題を取り上げた記事の中で記したものです。ここから、少なくとも、専門の雑誌では、学芸員=Curatorと示されていたことがわかります。團氏は、1928年の時点で、日本では図書館が普及しつつある一方で、博物館の設置は不十分で、認識も不足していると述べています。この原因の一つとして、博物館の職務と運営に秀でた「キューレーター」が少ないことを挙げていました。
初期の『博物館研究』を瞥見した限りですので、学芸員=Curatorの表現は、1928年以前にも見られると思います。ご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただければ幸いです。
ところで、『博物館研究』第一巻など初期の方では、日本の博物館問題を専門家がとりあげています。今と共通すると考えられるところも多く、非常に興味深いです。ご関心のある方は、ぜひ手にとっていただければと思います。
さて、前回は、司書がライブラリアン(Librarian)、学芸員がキュレーター(Curator)の訳語であることを前提としていましたが、そもそも、司書と学芸員とはいつからある言葉なのでしょうか。気になったので、少し調べてみました。
司書については、山崎元氏がまとめておられました(「『司書』の語源について」『みんなの図書館』no. 142、1989年、48-50頁)。山崎氏によれば、司書の語源は儒教の経書である周礼にあるようです。周礼は、司書の職務の一つに、図書と文書の管理を定めていました。日本では、1906(明治39)年10月に「図書館令」改正の際に、官名として定められたのですが、これが公式に初めて司書が記された事例であるようです。
ところが、司書がライブラリアンの訳語であるかどうかまでは示されていませんでした。実際に、山崎氏も、この語源の件について情報提供を求めていました。ちなみに、周礼など経書を生んだ中国では、司書ではなく図書館員という言葉が使われているようです(百度百科による)。
もう一方、学芸員の方は、『博物館研究』(第一巻、第三号、1928年)に、「学芸員(キューレーター)」という表現がありました。東京帝国大学の助教授であった團伊能氏が、当時の博物館問題を取り上げた記事の中で記したものです。ここから、少なくとも、専門の雑誌では、学芸員=Curatorと示されていたことがわかります。團氏は、1928年の時点で、日本では図書館が普及しつつある一方で、博物館の設置は不十分で、認識も不足していると述べています。この原因の一つとして、博物館の職務と運営に秀でた「キューレーター」が少ないことを挙げていました。
初期の『博物館研究』を瞥見した限りですので、学芸員=Curatorの表現は、1928年以前にも見られると思います。ご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただければ幸いです。
ところで、『博物館研究』第一巻など初期の方では、日本の博物館問題を専門家がとりあげています。今と共通すると考えられるところも多く、非常に興味深いです。ご関心のある方は、ぜひ手にとっていただければと思います。
![]() |