学生のころ、社会科の先生から初めて「模擬原爆(パンプキン爆弾)」の話を聞きました。教科書に記載された内容ではなく、その後テストに出題されたわけでもありません。ただ、今でも忘れられない、とても印象に残る授業でした。
「模擬原爆」は、原爆投下の直前、その訓練や調査、実験を目的として作られた大型爆弾です。長崎の原爆「ファットマン」と同型(丸みを帯びたかぼちゃ型)、同重量で、火薬が搭載されていました。1945年の7月から8月にかけて、計49発が本州と四国の18都府県に投下され、各地の死傷者は1600人にのぼりました。
授業でその話を聞いた当時は、テレビや新聞でもあまり取り上げられていなかったように記憶しています。しかし、近年、ニュースや、各地の博物館で「模擬原爆」をテーマにした企画展示が開催されているのを目にするようになり、改めて、さまざまな記事や資料を読みました。
そして、衝撃的なふたつの事実を知りました。
ひとつは、1991年、それまで明らかになっていなかったこの「模擬原爆」の投下場所や地図の詳細を、膨大な米軍資料を読み解き突き止めたのは、愛知県の教員をはじめとする市民団体であったということ。そして、もうひとつは、49発投下された「模擬原爆」の投下地点のうちひとつは、私が生まれ育った場所のほど近くであったということでした。
残された資料から史実をどのように受け取っていくべきか。また、伝えられた史実をどのように受け止め、未来へとつなぐのか。資料を扱う者として、世界で唯一の被爆国で生活する者として、改めて考えさせられました。
当館も、戦争中の記録を展示しています。小さなコーナーではありますが、その事実を伝え続けてまいります。