世紀をつなぐ企業信用調査
株式会社帝国データバンクは19世紀末の1900(明治33)年3月3日、後藤武夫の個人企業「帝国興信社」として創業しました(2年後「帝国興信所」に、1981年、現名称にそれぞれ変更)。
我が国の資本主義が成立したとされる1890年代、企業勃興の急速な進展を受けて、すでに「商業興信所」(本社・大阪、創業者・外山脩造)と「東京興信所」(同・東京、同・渋沢栄一)が開設されていましたが、両社はいずれも日本銀行からの補助金や助成金など資金援助と地元有力金融機関の共同出資によって発足したものでした。これに対して、当社は全くの民間機関として独力での開業だったのです。
また、先発2社はその共通した生い立ちにより、いわば姉妹会社のように相互補完の関係にありました。例えば、全国を名古屋で東西に二分して、それぞれが地域を担当する調査網を築きながら、調査報告書は互いに融通し合うという、実質一体となって事業を展開していました。他方、当社は単独で全国をカバーするために全国各地に事業所を設置して追随しようとしましたが、調査会員数、報告件数ともに開業後10年以上もの間、はるか後塵を拝するしかありませんでした。
それが、1910年代半ばから30年代初頭、元号でいえば、明治が終わり、大正年間を挟み、昭和へと移行する過程で、両社と当社との差は次第に縮まり、ようやく国内の信用調査機関は2強体制からその一角に当社が食い込む3社鼎立へと進みました。そして準戦時、戦時体制下、当社は事業所数、調査会員数、報告件数でも両社に比肩する、時には凌ぐ規模へと発展していったのです。
先発2社は戦時経済統制が強化される過程で、支援を受けていた日本銀行の仲介により企業合同して「東亜興信所」となり、名実ともに合体しましたが、戦後は一転、財閥解体に伴って銀行の後ろだてを失い、急速に凋落、表舞台からその姿を消してしまいました。代わって、戦後復興、高度成長を背景に後発・新興の調査機関が台頭し、当社は戦前期とは逆に、それら勢力に追いかけられ、激しく拮抗した時期もありました。
もとより当社は創業以来、幾度もの経営危機に直面しましたが、その都度、事業領域を見直し、再編し、経営体制の変革を通して、苦境を乗り越えました。コンピュータリゼーションを先取りするかたちで、他社に先駆けたデータベース事業の展開はその最たることでした。そうして資本的にも純血を維持しながら、世紀を越えて我が国の信用経済を下支えし、地域経済の発展に取り組む総合情報サービス企業としての地位を確立したのです。
《我が国信用調査業界の全体史と当社の歴史については『 ―情報の世紀― 帝国データバンク創業百年史』(株式会社帝国データバンク百年史編纂室、2000年6月)で詳述しています》