2020年11月24日(火)
【コラム】〈記憶の記録25〉旅とゴルフと。そして...... 米・カリフォルニア州 デスバレー 悪魔のゴルフコースに、 行ってみた。
【コラム】〈記憶の記録25〉旅とゴルフと。そして......
米・カリフォルニア州
デスバレー
悪魔のゴルフコースに、
行ってみた。
米・カリフォルニア州
デスバレー
悪魔のゴルフコースに、
行ってみた。

人々は何もしないで、それに耐えるようにと指示される。3密でもないゴルフも、なんとなく手控える。
そんななか、世界にはもっともっと暑い場所があるんだよ、という報道があって、8月16日、デスバレーで54・4度の世界新記録が生まれ、やはりそこで2013年に記録した54・0度の世界記録を塗り替えたそうである。
デスバレー(死の谷)とは、いかにもおぞましいネーミングだが、僕にとっては、むしろ懐かしい名前であった。
1990年の秋だから、ちょうど30年前のことになる。アリゾナからテキサスを回るちょっと長めのアメリカ取材を終えてロサンゼルスに戻った時、同行していたロス在住のカメラマンの岩井さんが、
「デスバレーに行ってみようよ」
と言うのである。彼は、写真はもちろん、ゴルフの腕前もプロレベルの人である。

デスバレーには、こんな伝説がある。
ゴールドラッシュのカリフォルニアに、一攫千金の夢を見て向かっていた一行が、近道をとってデスバレーを横断しようとして、行く手を3000M級の山に遮られた。
水不足、食料不足で、痩せた牛を食べたりもして飢えを凌ぎ、命からがら生還したという物語。そこから〈死の谷〉と呼ばれるようになった。
ここは、年間降水量が、わずか40ミリ、夏の湿度は1%以下になることもある。死の谷の、悪魔のゴルフコース。面白そうじゃないか!
ゴルファーとは、嗜虐的な存在のようで、難しいと聞くとすぐに反応してしまう。それに僕は、インドのカシミールにある世界最高地のゴルフ場に行ったばかりで、ノリがいい。ここは、海抜マイナス86M、世界最低地にある。
ロサンゼルスを昼過ぎに出て、127号線をひた走り、砂漠の中のオアシスのようなファーナスクリークに着いた頃は、すでに暗くなっていた。とりあえず、その日はそこのスペイン風のホテルに泊まることにする。
ファーナスクリークは、(燃えるように熱い小川)だとか。そして、悪魔のゴルフコースのお隣は、バッドウォーター(悪い水)。

「ゴルフですね。ここファーナスクリークは、世界最低地にあるんですよ」
「いや」と、僕。
「ファーナスクリークじゃなくて、デビルスでやりたいんだ」
ホテルマン、突然、笑い出す。
「あれは、ジョークですよ!」
用意していた地図を開いて、
「あなたは、今、ここにいます。この一帯がデビルスゴルフコース。こんな広いゴルフ場、あるもんですか」
岩井さん、なぜか微笑を浮かべている。
「こんなところでゴルフするのは、悪魔くらいのもの、という意味なんですよ」
「あなただけじゃありません。デビルスでゴルフしたい人が、世界中から集まってくるんです」
わずか1本の木も見えない乾ききった大地に、砂漠が奇怪にうねっていて、塩が堆積している。谷底から一気に聳え立つ、テレスコープ・ピーク(3300M)の山肌から、隕石のように落下した巨岩が、どくろのような不気味な存在感を漂わせている。
デビルスゴルフコースにいる。
地面を踏んだだけで、地表の熱気が頭の中に伝わってフラッとする。遠く砂丘の稜線を、1匹のコヨーテがうなだれて歩いていた。
カメラを担いだ岩井さんが、右手に旗竿を持って現れる。
「借りてきたよ。ここで18ホールを作りましょうよ、面白い絵になるよ、きっと」
僕たちは、旗を立て、ピンに向かって一本の架空の直線を引き、そこに向かってアドレスした。すると、悪魔のコースが、意志を持って立ち現れたような気がした。

Play a ball as it lies(あるがままに打つ)というゴルフの原則が成り立たないのである。
二人は、18本の線を引こうと頑張ったが、ボールがなくなって、諦めた。
ふだん僕たちは、恵まれた芝の上で、やれライが悪い、ディボット跡だ、とか愚痴っているが、それは、贅沢な人間さまの驕りなのだ。でも、やはりここでは、悪魔しかプレーできないだろう。
11月から3月までが、デスバレーのベストシーズンである。
※写真協力=ゴルフダイジェスト社
中村 信隆
1947年生まれ。ゴルフダイジェスト社元主幹。80年「Choice」創刊編集長。のち「週刊ゴルフダイジェスト」編集長を23年半務める。
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