2020年12月25日(金)
【コラム】〈記憶の記録26〉旅とゴルフと。そして...... 八重山・小浜島 ニライカナイ 海の彼方の楽園に遊ぶ。
【コラム】〈記憶の記録26〉旅とゴルフと。そして......
八重山・小浜島
ニライカナイ
海の彼方の楽園に遊ぶ。
八重山・小浜島
ニライカナイ
海の彼方の楽園に遊ぶ。

2014年の年の暮れ、八重山諸島を歩いてみようと思い立って地図を広げると、石垣島と西表島に挟まれた小浜島という小さな島の東の隅に、ニラカナイ・カントリークラブがあった。
「ニライカナイ」は、古い土地の言葉で「遠い海の彼方にある楽園」のことである。きっと覚えやすいように端折って、〈ニラカナイ〉になったのだろう。
その蠱惑的な名前が気になって、楽園を目指して舟をこぎだすウミンチュー(海人)さながらに、小浜島へ向かったのである。
石垣島から、フェリーとバスを乗り継いで小一時間でそこに着く。
ゴルフの前に、NHKの朝ドラ『ちゅらさん』の舞台になったこの島を見ておこうと思って、サトウキビ畑や、古い石垣の集落を巡ることにする。

リゾートにあるゴルフ場は、「いい気持ちでお帰りください」というコンセプトで造られることが多いから、易しくできている。
が、このコースには、そんな手加減が見られない。フェアウェイは大きくうねり、距離もたっぷりある。400ヤードを超すパー4が4つあり、OBゾーンには、......ハブがいるよ、と穏やかでない。
開場してまだ13年しか経ってないのに、何度か名前が変わって〈ニラカナイ〉、そして現在は、小浜島カントリークラブになっている。
それは、辺境にあるこのコースを維持することが容易ではないことを示すエピソードだが、ここにこんなに素敵なコースがあったことが、嬉しいのである。
スタートしてすぐの、海辺の2番ホールで、孔雀の群れに会った。その鮮やかさに見惚れてしまっている僕に、同伴してくれた島の若者が、

コースの7番(パー4)は、日本の最西端にあり、12番(パー3)は、最南端ということになっている。ティグラウンドの脇にはプレートがあって、ちょっと剽軽な光景ではあるけれど、知ってしまうと力が入ってしまうものである。
12番(180ヤード・パー3)は、距離もあるし、手前が池である。4番ウッドで、......力んでしまって、池ポチャだ。
「なんくるないさー」
二人の言葉が重なり合って、思わず笑いあっている。
この日のスコアは、45・41。いつもなら、「あの池ポチャがなけりゃ」、なんて思ったかもしれない。しかしこの日は、気持ちが素直になって、いいゴルフができた。
夕陽が、赤瓦の家並みを眩しく照らす頃、三線(サンシン)が鳴って、宴の始まりである。主役は、もちろん泡盛だ。
泡盛は、遠い昔、大陸のずっと向こうから島に蒸留技術が伝わってきて、甕や瓶のなかで熟成したのが始まりだった。
ゴルフを同伴してくれた若者に誘われて、その夜、宴の輪の中にいた。真ん中には、『ちゅらさん』のオバア、平良とみさんに似たやさしい目のおばあさん。
ひとつだけ知っていた八重山民謡『安里屋ユンタ』が唄われる。竹富島に実在した絶世の美女クヤマが、彼女に一目惚れした琉球王府から来たお役人の求愛を蹴ったという、痛快なストーリー。
気づいたことがあった。
男たちは、ウチナーグチ(沖縄弁)、女はヤマトクチ(標準語)で喋る人が多いのだ。そこを解説してくれる人がいた。
「本土からきた女性は、島の男と一緒になってここに住み、島で生まれた男は、出て行ったら、帰らない」
八重山には、いろんな人が集まってくる。そしてすぐに、親しくなれる。
南仏・プロバンスから来て2か月経ったという大男の俳優・クリスさんは、サンタクロースの衣装をまとっている。
スリムな奥さんは、文化人類学が専門で、大学の講師をしているという。
「あと1か月、八重山にいようよ」と、頷きあっている。

浜辺にテントを張って、焚火をして暮らしているという若者も、隅っこで、ニコニコしながら呑んでいる。
いろんな人が集まって、文化と文化がぶつかり合って、幹が大きく太くなっていく土地である。こんな場所は、めったにない。
宴は、いつまでも終わらない。
人々の無邪気な笑顔を眺めながら、この人たちは、〈ニライカナイ〉に集まった神々なのだ、とつくづく思う。
中村 信隆
1947年生まれ。ゴルフダイジェスト社元主幹。80年「Choice」創刊編集長。のち「週刊ゴルフダイジェスト」編集長を23年半務める。
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