学芸員室の雑記帳

渋沢栄一60歳のとき

当社創業者後藤武夫は、帝国興信所を興してすぐに渋沢栄一を訪問し、信用調査機関の必要性と、渋沢の設立した東京興信所による独占の弊害などを演説し、自身の事業への出資を願い出ました。のちに一介の書生であった自身への対応としては無理もないことだっただろうと当時を振り返りますが、協力は多忙を理由に断られ、憤然と事務所を後にした、と自伝で書き残しています。
1900年、渋沢栄一60歳、後藤武夫30歳のときのことでした。

しかし、その後およそ20年の時を経て、信用調査業の発展と事業の拡大に努め続けた後藤武夫に対する渋沢栄一のまなざしは変化してきました。
寄稿文や直筆の書、90歳のお祝いの返礼として贈られた出版物など、当社に残る渋沢の足跡は、その惜しみない支援を物語っています。

「帝国興信所創立以来の共鳴者であり、同情者であり、理解者であり、また寄稿家でもあった」

渋沢が亡くなった際に掲載された当社刊行物の追悼文からからも、その存在がいかに大きかったかうかがい知ることができます。

さて、来週7月3日からいよいよ新しい紙幣の発行が開始されます。紙幣の刷新は2004年以来20年ぶり。1万円札の肖像の変更は、聖徳太子から福沢諭吉になった1984年以来40年ぶりとなります。国立印刷局のHPによると、1万円札の渋沢栄一の肖像は、古希(70歳)を迎える時に撮影された写真を参考に、60歳頃の姿を想定して描かれたものであると紹介されていました。
渋沢栄一60歳のとき。創業時に後藤武夫が訪ねた頃とちょうど時期が重なります。新紙幣を入手したら、まずはじっくり眺め、当時に思いを馳せてみたいと思います。

 

現在当館では、テーマ展示「渋沢栄一と信用調査業」を開催中です。ぜひ、ご来館ください。
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