信用調査のはじまり

ヨーロッパから世界へ

取引の際に相手の支払い能力を見極める信用調査は、信用取引に欠くことのできない要素の一つです。経済が拡大し、貨幣経済から信用経済へと移行するに従って、信用調査を専門に行う第三者機関の存在が求められるようになりました。世界最初の信用調査機関は、18世紀後半、産業革命時のイギリスに誕生したと伝えられます。その後、他のヨーロッパ諸国でも次々と信用調査機関が設立され、アメリカを始め世界各地へと広がっていきました。

信用調査業入門

日本における信用調査

信用調査機関が日本に輸入されたのは、1892(明治25)年。明治維新以降、急速に経済の近代化が進むなか、欧米視察から帰国した元日本銀行大阪支店長の外山脩造が、大阪に日本初の信用調査会社、商業興信所を設立しました。「信用を興す所」としての「興信所」は、顧客に正確な信用情報を提供し、経済活動を円滑化するための機関を意味します。現在の「興信所」は、個人の調査をメインとする探偵業としての意味合いが強いですが、本来は企業(個人の商工業者を含む)の信用調査を行う機関を指す言葉でした。

公平の眼をもってよく調べる

商業興信所の設立から4年後の1896(明治29)年、渋沢栄一が日本橋に東京興信所を設立します。渋沢は設立前に大阪の商業興信所を視察に訪れ、外山のことを「大いに賞賛せねばならぬ事は信用調査すなわち興信所の設立」と称えています。銀行や手形交換所の設立など数々の商業発展の地盤を築いてきた渋沢は、近代的なビジネスをより普及・拡大するためには企業間の信用の確立が重要であり、企業の信用程度を客観的に調査し、明示する興信所の立ち上げが不可欠であると考えていました。
「必要なるものは丁寧なる方法によって得意先の信用を綿密に取り調べて報告するということである。得意先から言うなら他人の身代(財産)を調べるのは不都合であると立腹するか知らぬが、しかし公平の眼をもってよく調べてもらうということは得意先とてもむしろよいと思わねばならぬ。資産の堅固なる者が不堅固に報告されれば信用を減ずる。また、悪い者が善く報告されると当人のために幸せであるとも、世間を誤るの恐れがある。故に得意先の信用程度はなるべく明瞭にわかるのが、堅固の商人にはむしろ満足に思うはずである。」(『軽雲外山翁伝』より)
渋沢のこの言葉は、信用調査の本質を見事に表現しており、現代にも変わることなく通用する考え方です。

帝国興信所(帝国データバンク)の設立

商業興信所と東京興信所は、日本銀行はじめ有力諸銀行から出資を受けた半官半民の非営利機関でした。両興信所は、西の商業興信所、東の東京興信所として、共に戦前の信用調査業界を牽引していきます。※1
両興信所の設立後、次々と民間の信用調査会社が誕生しますが、帝国データバンクの前身、帝国興信所もそのうちの一つでした。東京興信所の設立から更に4年後の1900(明治33)年3月3日、後藤武夫は東京市京橋区(現中央区八重洲)に帝国興信社(以下、帝国興信所)※2を開業します。設立前年の1899年、後藤は創業間もない興信所、帝国商業興信社に入社しますが、経営者の不正な経営に愛想を尽かし、一年も経たずに独立したという経緯があります。帝国興信所は「実業道徳の興隆、信用取引の発達を図る」ため、「一般商工業者に営業上の便利を与ふるため法人及び個人の資産信用性格及び営業上の状況を調査報告する」ことを目的として誕生しました。

※1
商業興信所と東京興信所は1944年に合併し、株式会社東亜興信所(1944~1992年)、株式会社サン・トーア(1992~2020年)、サムティホテルマネジメント株式会社(2020年~)と変遷しています。
※2
帝国興信社は2年後に帝国興信所と社名を改め、以後1981年に現在の帝国データバンクに改称するまで、帝国興信所の社名を用いました。