学芸員室の雑記帳

百聞は一見に如かず

かねてより興味を抱いていた、世界文化遺産に登録された端島(通称、軍艦島)に上陸しました。ご存じのとおり1800年代の後半、沿岸で石炭が見つかったことをきっかけに島の発展が始まり、日本の近代化を支えた長崎県の島です。

ガイドの説明によれば、幅160m、長さ480mという小さな島に、炭鉱産業の繁栄と共に家族で移り住む人も増え、1959年には、総人口5,000人以上、東京の約9倍という世界一の人口密度を誇っていたそうです。

風雨により朽ちていく建物群が小さな島に密集するという異様な姿を写真や映像では見ていたものの、実物を目の当たりにしますと、日本の近代化を支えた島の栄枯盛衰をひしひしと感じ、島の歴史、当時の島民の生活の様子など、否応なく想像力を掻き立てられました。107年前に建てられた日本初めての鉄筋コンクリートの高層建築物(30号棟)を目の前に、約140世帯もの家族が6畳一間、共同トイレ、共同風呂、共同キッチンの環境下で賑やかに生活していたとのガイドの話は、廃墟となし数年後には倒壊の恐れがあるほどに朽ちた建物からは全く想像もできないコントラストです。島内には生活に必要な施設だけでなく、映画館やパチンコ店、スナックといった娯楽施設も揃い、派出所には警官までもいたとのこと。犯罪者はおらず、牢屋の使用は酔っ払いの反省部屋として使用されていたとの機知に富んだ解説からは、近代化を支えられた過酷な労働環境の中でも、住民は牧歌的な生活をしていたのではとの想像も膨らみます。

また、昭和30年代、「三種の神器」と呼ばれたテレビ・冷蔵庫・洗濯機の普及率は、本土が数十パーセントの頃にはすでに100%近くあったそうで、過酷で危険な労働と引き換えに、住民の裕福な生活の様子も伝わってきました。上陸時には外から見た軍艦「土佐」に似た厳つい様相と過酷な労働現場のイメージが強かったものが、島を離れる際には住民の活気溢れる賑やかな生活ぶりも強く印象に残りつつ、島を後にしました。

写真・映像から感じていた思いも、実物に接し専門家からお話を伺うことでより深く、さらには違った視点から歴史を感じとれるものです。百聞は一見に如かずと言いますが、そこに文化施設を直接訪れる意味があるのでしょう。近代化を支えた軍艦島は、残念ながら台風、風雨や海水に洗われ、建造物は徐々に朽ちており保存は困難なようですが、日本の近代化の歴史をずっと残して欲しい、そんな思いです。