学芸員室の雑記帳

伏線回収

1918年に新築された本社社屋

先日刊行した『帝国データバンク史料館だよりMuse』Vol.42をご高覧いただいたみなさま、また、さっそくご感想をお寄せくださったみなさま、ありがとうございます。
前担当回の雑記帳では、Museの表紙制作について触れましたが、実際に最新号をご覧いただき、表紙写真が巻頭特集に関連していることや、次回開催予定のテーマ展示へ続く伏線となっていることを感じていただけましたら、誌面の企画意図としては大成功なのですが…。いかがでしたでしょうか。

今回ここでは、Vol.42の表紙で取り上げたはがきの写真に写っている本社社屋について、少しご紹介したいと思います。
1900年の創業以来たびたび拠点を変えていた帝国興信所は、1918年、初めての自社ビルを京橋区南八丁堀(現中央区新富町)に竣工しました。表紙のはがきは、その新築を記念して作成されたものです。清水組(現清水建設)による設計と施工によるこのビルは、当時の建築技術を駆使して建設された3階建てで、耐久性に優れた「鼻黒煉瓦」を採用し、文書昇降用の小さなエレベーターや、防火用のシャッターを備えていました。

創業者後藤武夫は、この本社ビルについて当時の社内報の中で以下のように述べています。
「建物は、外観敢て美を誇るに足らず、規模も亦広壮と称するにあらざるも、華を去り、実に就き、質実堅牢および便利を旨としたる点に於いては、過去十有九年の間に積層したる帝国興信所の信用と、数年前の創立に係る日本魂社の精神とを遺憾なく表現せるもの…」

しかし完成からわずか5年、1923年9月1日に発生した関東大震災により全壊。さらに、死傷者約20名という甚大な被害が出てしまいました。後藤武夫は多くを失いましたが「質実堅牢および便利を旨とし」築き上げた帝国興信所の無形の信用を守り、日本経済に不可欠な興信事業を一日も早く復興させることを決心し、被災後すぐさま、業務の立て直しに奔走していきます。

次回のテーマ展示では、関東大震災から100年を迎える今年、帝国興信所がどのように関東大震災を乗り越え、そして報じていたのか。当時の社員一人ひとりが綴った手記や、出版物を手がかりにたどります。
現在、4月初旬のスタートに向けて鋭意準備中です。
どうぞ、ご期待ください。